神道久米稲荷とは

神道久米稲荷とは

ご由緒

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平成23年3月、現在の場所へ移設祭祀を引き継ぐ。その後平成27年8月、奈良県より宗教法人の設立認可を得て「宗教法人久米稲荷」として毎月の「月次祭」を年に4回、春・夏・秋・冬の大祭を続けている。
分社として、「吉野郡大淀分社」及び「橿原分社(建設予定)」の2社あり。

久米稲荷は昭和12年ごろ、伏見の本社より橿原市久米町に分霊を勧請したと考えられる。

伏見稲荷大社

京都府伏見区稲荷山西麓に鎮座
全国に3万2千社あり、稲荷神社の総本山。
神階は正一位 稲荷大明神 五穀豊穣・商工業繁栄の神穂あり

祭神
・下社 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)中央座
・中社 佐田彦大神(さだひこのかみ) 北座
・上社 大宮能売神(おおみやのめのかみ) 南座
・田中社 田中大神(たなかのおおかみ) 最北座
・四大神社(しのおおかみのやしろ)  四大神(しのおおかみ) 最南座

以上の五座を稲荷五社大明神と称す

創建 和銅2年2月初午の日 稲荷山三ケ峰に顕現
神階正一位(しんかいしょういちい)天慶(てんぎょう)5年
上中下の三社(山上にあり)
秦公伊呂具(はたのきみいろぐ)

紀元節

紀元節
日本の国が始まった年 紀元前660年
2月11日 現在の建国記念日
昭和15年(1940年 皇紀2600年)
 畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)
 畝傍橿原宮阯
  などと呼ばれていた。神武天皇陵(御陵)のもとである。
明治22年に神武天皇陵に確定される。
明治23年に橿原神宮と成る。
※昭和15年の皇紀2600年祭に向けて橿原神宮聖域拡張工事が昭和12年頃から本格化する。

ご祭神

三神
・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)保食神(うけもちのかみ)稲成(いなり)
・佐田彦大神(さだひこのかみ)猿田彦命(さるたひこのみこと)拔いと導きの神
・大宮能売神(おおみやのめのかみ)天鈿女命(あめのうずめのみこと) 心を和める

稲荷五社大明神
一、稲蒼魂命(うかのみたまのみこと)
一、大己貴命(おおなむちのみこと)
一、太田命(おおたのみこと)
一、大宮姫命(おおみやひめのみこと)
一、保食命(うけもちのみこと)
五柱神(いつはしらのかみ)

五穀豊穣
 米、麦、粟、豆、ひえ、がよく成長して稔り収穫できる。

ご祈祷

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稲成大社
 延喜式(えんぎしき) 名神大社(みょうじんたいしゃ)
五穀豊穣 商工業繁栄